中空は誰のものになるのか

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―空気の時代から、AIの時代へ

日本社会を語るとき、しばしば「見えない何か」が意思決定を支配していると言われる。
それは法でも、神でも、個人の意志でもない。
誰も命じていないのに、皆が従ってしまうもの。

かつて 山本七平 は、それを「空気」と呼んだ。
空気は命令しない。
だが、逆らうことを難しくする。
日本社会は、この空気を媒介として、秩序と合意を保ってきた。


中心が存在しないという日本的構造

この日本的なあり方を、心理学の側から捉え直したのが 河合隼雄 である。
河合は、日本文化の深層に「中空構造」があると述べた。

西洋文明が、唯一絶対の中心 ―神やロゴス― を据えるのに対し、
日本ではその中心が空白のまま残される。
対立するものが併存し、どちらも決定的な主座を占めない。

河合はその象徴として、太陽神と月の神の対比を挙げた。
日本的なのは、昼ではなく夜、
明示ではなく余白、
断定ではなく含みである。

重要なのは、この中空が「無秩序」ではなかったという点だ。
中心が空白であるがゆえに、
その周囲を取り巻く空気が、暗黙の調整装置として機能していた。


空気が担っていたもの

空気は、極めて扱いづらい装置だった。

  • 誰も定義できない
  • しかし、誰もが察している
  • 誤解も生むが、衝突を和らげもする

空気は暴力にもなったし、救いにもなった。
だが少なくとも、「同じ場にいる限り、同じ空気を吸っている」という前提は共有されていた。

理解が完全でなくてもよかった。
意見が一致していなくてもよかった。
「よく分からないが、まあそういうものだ」という曖昧な重なりが、社会を成立させていた。


理解負債とは何か(再考)

以前の投稿記事で触れた「理解負債」を踏まえて。

改めて理解負債とは、
AIに生成させたコードや判断ロジックを、 それを指示した本人が弁えきれないまま前進してしまう状態を指す。

コードは動く。
アウトプットも返ってくる。
一見すると、開発は進んでいるように見える。

だが実際には、

  • なぜそう書かれているのか説明できない
  • どこまでが仕様で、どこからが偶然なのか分からない
  • 修正や停止の判断基準を人間側が持っていない

という状態が、静かに積み上がっていく。

結果として生まれるのは、
動いているのに、終わらない開発である。

ここには、ヒトの熟考も、熟議も存在しない。
決定はなされているように見えて、
誰も「決めた責任」を引き受けていない。


AIが与えるのは「理解」ではなく「快適さ」である

AIは、ずれを修正する。
AIは、最適化する。
AIは、各人にとって「理解しやすい世界」を与える。

だがそれは、
理解が深まったことを意味しない。

多くの場合、AIが提供しているのは、

  • 納得しやすさ
  • 違和感の少なさ
  • 思考を止めても進めてしまえる快適さ

である。

これは、外界の空気を吸って生きている状態ではない。
自分専用に調整された空気を、吸入器から供給されている状態に近い。

吸っている本人は楽だ。
苦しくない。
だが、吸入器なしでは呼吸できなくなる。


理解負債は「ずれの解消」によって蓄積される

理解負債は、分からないから生まれるのではない。
むしろ、

  • 分かった気になれる
  • 判断したつもりになれる
  • 説明を聞いた気になる

ことによって蓄積される。

AIは、思考の摩擦を極端に減らす。
だがその摩擦こそが、本来は熟考や熟議の入口だった。

ずれを抱えたまま考える。
完全に理解できないまま決める。
その過程でしか育たない判断責任が、
静かに省略されていく。


空気は「未理解を共有する装置」だった

かつての空気は、
「分からないまま一緒にいる」ことを可能にしていた。

全員が理解していない。
全員が納得していない。
それでも、同じ場に留まり続ける。

未理解そのものが、共有されていた。

だがAIによる最適化は、
この未理解の共有を不要にする。

各人が、それぞれにとって理解しやすい世界を与えられ、
同じずれを抱える必要がなくなる。

ここで中空は、静かに崩れ始める。


本当に起きているのは「中空の消失」である

AIが恐ろしいのは、
中空の中心に「新しい神」として座ることではない。

むしろ、
中空そのものを不要にしてしまうことだ。

共有された空白がなくなり、
判断はすべて個別最適に分解される。

社会は対立で壊れるのではない。
最適解によって分断される。

それぞれが、
別々の空気を、
別々の吸入器から吸って生きている。

誰も間違っていない。
だが、誰とも交差しない。


中空を失うとは、熟考の居場所を失うことだ

中空とは、
決めきらないための空白だった。

空気とは、
完全に分からないまま、
それでも考え続けるための媒介だった。

AIが中空を「理解可能な空間」に変えてしまうとき、
失われるのは神話的中心ではない。

熟考が滞在できる場所そのものである。

そしてその空白が消えたとき、
私たちは吸入器なしでは呼吸できない存在になる。


結びに代えて

AIは、答えを与える。
だが中空は、答えの場所ではない。

中空とは、
誤解を抱えたまま共にいるための余地であり、
判断を急がないための文明的な遅さである。

それを守るとは、
曖昧さを美化することではない。
不完全な理解を、あえて引き受け続ける覚悟のことだ。

私たちはいま、
空気の時代の終わりではなく、
中空を残すか、失うかという選択の前に立っている。