うどん屋を探して、東京を歩く

都会特有の、埃っぽい空気がある。
湿っていて、どこか古い。

歩いていると、
パチンコ屋のドアが開くたびに、
意味をなさない電子音が外に溢れ出す。

うるさいはずなのに、
それはいつのまにか背景音として処理されている。

ここでは、
生活の音と娯楽の音が、
区別されないまま混ざっている。


干物と香辛料。
安い服と高いスニーカー。
観光客と生活者が、同じ地面の上に立っている。

私はこの感覚を追いかけて、
東京を歩くことにした。


昼|上野・アメヤ横丁

混ざりすぎた生活

文化も用途も速度も違うものが、
ここでは同時に存在している。

干物の匂いの横で、
スマートフォンが鳴り、
値札の声が飛び交う。

食べる、買う、話す、立ち止まる。
すべてが、同時進行だ。

アメ横は、生きている。
ただし、快適ではない。

落ち着かないし、
長居すると、少し消耗する。

それでも、
この混沌には前向きな力がある。

都市が、
「まだ自分は生きている」と
言い聞かせられる時間帯だ。


夕方|新橋・ガード下

シャットダウンを拒む準備

高架の上では、
電車が正確な時刻で通過する。

その下で、
人は立ち止まり、飲み始める。

ここで起きているのは、
再起動ではない。

ただ、
シャットダウンを先延ばしにしているだけだ。

同じ店、同じ席、同じ会話。
今日が終わらなければ、
明日も始めなくて済む。

都市インフラの腹の中で、
人は時間をやり過ごしている。


夜|渋谷・道玄坂

過剰稼働する都市

段差が椅子になり、
路地がオープンテラスになる。

誰も営業していないのに、
場だけが勝手に生まれる。

この街は、
終わることを許さない。

身体は限界でも、
テンションだけが残る。

ここにある熱は、
明日には記憶されない。


深夜|新宿

圧縮された身体

人は、もうわずかだ。
それでも、距離が近い。

路地が細く、
看板が低く、
街の輪郭がどこか斜めだ。

声は反響し、
正体のわからない気配だけが残る。

温かいようで、
油断すると触れてはいけないものに
触れてしまいそうな感じがある。

この街は、
人を包みながらも、
何か異様なものまで近づけてくる。

ここでは立っているだけで
自分の輪郭がすこし歪む。

酔っていないと、
この斜めさに
正気のまま向き合えない。


朝|銀座

清掃された街、残された私

朝の銀座は、静かだ。
路上はきれいで、匂いがない。

回収前のゴミ袋のそばで、
一匹のカラスが立っている。

鳴きもしない。
荒らしもしない。
ただ、横目でこちらを見ている。

私は、そのまま朝を迎えていた。
帰れなかったというより、
終わらせられなかった夜の続きだ。

カラスと目が合った瞬間、
なぜか、こちらの内側を
見透かされた気がした。

取り繕っていたもの。
最適化しようとしていたもの。
うまく処理したつもりで、
置き去りにしてきた感覚。

それらが、
きれいに清掃された街の中で、
自分の足元にだけ残っている。

この街では、
それらは背景にならない。
私自身が、背景になる。


エピローグ|うどん屋、あるいはサイバーパンクの現在地

歩きながら、
あとで気づいた。

私はずっと、
「うどん屋」を探していたらしい。

それは、店のことではない。
湯気や麺の話でもない。

サイバーパンクが描いてきたのは、
未来のガジェットではなく、
High Tech, Low Life という状態だった。

技術が高度化し、
都市が最適化され、
システムが隅々まで行き渡った世界。

その底で、
人間だけが取り残される。

ディストピアとは、
爆発や暴力に満ちた世界ではない。
もっと静かで、
もっと清潔で、
もっと「正しい」場所だ。

終われない夜。
シャットダウンできない身体。
朝になっても回収されない疲労。

そのすべてが沈殿した場所に、
かつてから、そして今も、
「うどん屋的なもの」がある。

世界がどれほど整えられても、
最後に必ず残ってしまう
人間の残りカス(=本質)が、そこに溜まる。

サイバーパンクは、未来の物語ではない。
それは、
昼から夜、夜から朝へと
東京を歩くことで確認できる、
現在進行形のディストピアだ。

それでも、
私の中に、
まだ残っている。

あの、
説明できない温度が。

完全に処理されてしまう前に。