―「枯れた技術の水平思考」は千利休の〈見立て〉である
非財務KPIが強い会社は、なぜ“説明しなくても伝わる”のか
企業のブランド力を語るとき、私たちはつい
売上、シェア、技術力、特許数といった「測れるもの」に目を向けがちです。
けれど、
説明されなくても信頼されている会社
理屈より先に“好き”と言われる会社
には、数字では測れない強度があります。
純日本企業のなかで、その象徴的な存在が 任天堂 です。
このブランド力の源泉を、私は
禅的ミニマリズム、そして
千利休の「見立て」という日本古来の文化的ミームから捉え直したいと思います。
「枯れた技術の水平思考」は、技術論ではない
任天堂の思想としてよく知られる
「枯れた技術の水平思考」。
これは単なるコスト戦略でも、開発効率論でもありません。
本質は、
既にありふれたものを、別の文脈で再定義する
という、極めて文化的な態度です。
最先端を“足す”のではなく、
既存のものを引き算し、掛け合わせる。
この構えは、日本文化のど真ん中にあります。
千利休の「見立て」とは何だったのか
千利休が行った革命は、
豪華な道具を否定することではありませんでした。
彼がやったのは、
日常の雑器を、茶器として“見立てる” という行為です。
価値の源泉は、
- 素材の希少性ではなく
- 文脈の転換にある
という宣言。
この瞬間、
日常は非日常へと反転します。
ゲーム機は、なぜ「遊び」になったのか
任天堂がやってきたことも、構造は同じです。
- 計算機用として普及し、安価になった液晶
- 工業用途では当たり前だった加速度センサー
それらを
「遊び」という文脈に見立て直した。
ゲーム&ウオッチ、ゲームボーイ、Wii。
どれも「最先端」ではありません。
けれど、
体験としては最も新しかった。
これは技術革新ではなく、
意味の再定義です。
スペック競争から降りるという、禅的決断
テクノロジー産業の多くは、
足し算の論理で進みます。
- もっと高精細に
- もっと高性能に
- もっと複雑に
任天堂は、そこから意識的に降りました。
削ぎ落とすことで、
「人はなぜ楽しいと感じるのか」という
本質的な問いに集中したのです。
これは、禅そのものです。
エンジニアを解放する思想
この思想が持つ、あまり語られない価値があります。
それは、
開発者を“追い立てない”こと。
常に最新技術を追いかけ続けるプレッシャーから解放し、
創造性に時間を与える。
人を消耗させない設計。
これもまた、非財務KPIです。
サステナビリティは、後から付いた評価ではない
省電力、長寿命、過度な資源消費をしない設計。
任天堂はESGを掲げる前から、
結果として極めてサステナブルでした。
これは
「環境に配慮したから」ではなく、
禅的ミニマリズムの帰結です。
京都という土地が、すでに物語っている
任天堂の本社は京都にあります。
京都は、
変わらないために、変わり続けてきた都市。
伝統とは保存ではなく、
更新の作法であることを知っている場所です。
「任天堂」という社名に宿る、無常観
「任天堂」という名前は、
運を天に任せる という意味を持ちます。
完全なコントロールを幻想と知り、
結果を手放す態度。
これは日本的な
無常観(Mujōkan) の表れではないでしょうか。
すべてを支配しようとしない。
だからこそ、長く続く。
結びにかえて
―再定義する企業は、文化になる
任天堂のブランド力は、
広告でも、物量でもありません。
それは、
- 見立てる力
- 削ぎ落とす勇気
- 手放す覚悟
という、日本文化が何百年も磨いてきた思考様式の上にあります。
非財務KPIが高い企業とは、
数字になる前の信頼を、すでに獲得している存在なのかもしれません。
