―混ぜるな危険、夢は後から固定される
プロローグ
REM ― 一瞬にして形成される夢
夢は、突然始まる。
前触れも、説明もない。
断片的な映像と、
なぜか意味がありそうだという感覚だけが残る。
目が覚めた直後、
それが何だったのかは分からない。
それでも、印象だけは強く残る。
KPIも、よく似ている。
数値は一瞬で立ち上がる。
その瞬間、私たちは
「何かを見た」
「何かが決まった」
ような気になる。
主題
KPIの中にある、カタルシスとレトロスペクティブ
KPIには、二つの顔がある。
ひとつは、カタルシス。
結果に区切りをつけ、
感情を終わらせるための装置。
もうひとつは、レトロスペクティブ。
行動を振り返り、
次の仮説につなげるための装置。
どちらも正しい。
どちらも、必要だ。
ただし―
同じ時間、同じ場で扱われたとき、 この二つは衝突する。
混ぜるな危険
悪夢を見るような話
たとえば月次レビュー。
数値が示され、
達成は称賛され、
同じ場で理由が問われ、
評価までが確定する。
終わったはずなのに、終わらない。
区切られたはずなのに、頭が切り替わらない。
夢で言えば、こういう状態だ。
- 目は覚めている
- 夢は続いている
- しかも、その意味を説明しろと言われる
これは悪夢だ。
カタルシスとレトロスペクティブを並走させたKPIは、
感情も、思考も、どちらも解放しない。
後付け反芻
ずっと残る夢は、こうして作られる
悪夢は、体験そのものではない。
あとから始まる。
「なぜそうなったのか」
「どう評価されるのか」
「この経験は何を意味するのか」
この後付けの反芻が、
体験を物語に固定する。
一瞬で見たはずの夢が、
起きてから何度も再生され、
意味を与えられ、
「忘れられない夢」になるように。
KPIが怖くなるのは、
数値があるからではない。
終わらせなかった解釈が、 数値の中に住み着くからだ。
あとに送られるもの
語ることで成仏する価値
KPIの中には、
すぐに区切るべきものとは別に、
あとに送られるものがある。
信頼。
判断力。
文化。
チームとしての癖。
それらは、
すぐに数値で裁かれるためのものではない。
むしろ、
時間が経ってから語られることで、 はじめて意味を持つ。
語り合うことで、
共有され、
少しずつ成仏していく。
ここには、
確かにカタルシスがある。
祟りは、順番を誤ったときに起きる
問題は、
これらを同じ時間軸で扱った瞬間に起きる。
- すぐに終わらせるべき数値を
- あとで育てるべき意味で語る
あるいは、
- あとに送るべき価値を
- その場の評価で裁く
成仏するはずだったものは、
成仏できずに残る。
それは学びではなく、
祟りになる。
エピローグ
non-REM ― 決して取り出せない夢
本当に私たちを回復させているものは、
語られない。
深い眠りの中で、
夢としても思い出せない層で、
ただ静かに処理されている。
non-REMの夢は、
取り出せない。
けれど、確実に効いている。
組織も同じだ。
語られない努力、
数値にならない回復、
評価も物語も与えられない時間。
それらはKPIには現れない。
だからこそ、壊れずに続いている。
KPIは夢のように一瞬で現れる。
扱う順番を誤ると、
目が覚めても終わらない。
混ぜるな危険。
悪夢を見る。
Too early to judge,
it cannot become jobutsu.Too late to talk,
it comes back as tatari.
