土偶から萌えキャラへ

―日本文化を駆動する「アニミズムのOS」

序|まだ名前のなかったOSの話

弥生時代の前。
大陸からの人の往来が、まだ本格化していなかった頃。

日本列島には、制度でも思想でもない、
しかし確かに“世界との関わり方の癖”のようなものが
静かに根を張っていたのではないかと思う。

それは、明確な教義として言語化されることなく、
南や北に少し濃淡を残しながら、
全域にわずかに、しかし脈々と流れ続けてきた。

私はそれを、仮に
「アニミズムのOS」
と呼んでいる。

信仰というほど強固ではなく、
思想というほど自覚的でもない。
ただ、何かを「モノ以上のもの」として扱ってしまう、
その無意識の作法。

今回の文章は、
そのOSがどこから来て、
なぜ今も私たちの手元で動き続けているのかを、
土偶とキャラクターという二つの存在を軸に、
静かに辿ってみようという試みである。


1. アニミズムのOSとは何か

ここでいうアニミズムのOSとは、
宗教や民俗信仰そのものを指す言葉ではない。

それはむしろ、

現代のテクノロジーやコンテンツを駆動させる
論理的・哲学的な下位層

としての、世界理解の基盤である。

人と世界のあいだに、
完全な主客分離を置かない。
モノを、ただの物体として扱いきれない。

この感覚は、
説明される前から、すでに私たちの振る舞いに組み込まれている。


2. 土偶という「キャラクター以前のキャラクター」

土偶
遮光器土偶

土偶は、しばしば
「未熟な人体表現」として説明されてきた。

しかし、その造形をよく見ると、
そこには写実を目指した痕跡よりも、
意図的な歪みや誇張が色濃く残っている。

大きすぎる目。
極端な身体比率。
どこか人間離れしたフォルム。

これらは、技術的未達ではなく、
呪術的な効果を高めるためのデザインだったと考えるほうが自然だ。

土偶は、
「人を再現する」ための像ではない。

力を発動させるための器として作られていた。


3. マジックから「萌え」へ──機能のスライド

土偶が担っていた役割は、
豊穣、治癒、鎮魂といった、
極めて実利的で切実なものだった。

一方、現代のキャラクターやフィギュアがもたらすのは、
癒やし、萌え、愛着といった、
感情的・心理的な効力である。

一見すると、
この二つはまったく別物に見える。

だが、構造を一段下げてみると、
そこには共通点が浮かび上がる。

  • 物質(器)を用意する
  • そこに魂や感情を宿らせる
  • 人と世界の関係を、やわらかく媒介する

力の種類は変わったが、OSは変わっていない。

土偶からキャラクターへの変化は、
断絶ではなく、
用途変更を伴うアップデートだったのかもしれない。


4. 「物質+霊性」をパラメータ化するという発明

ヤジロン
ポケモン ヤジロン

このアニミズムのOSを、
現代的に最も洗練された形で実装している例として、
ゲーム作品が挙げられる。

土から生まれた存在でありながら、
精神的な力を行使する。

それは、
「物質に魂が宿る」という世界観を、
物語ではなくシステムとして組み込んだ設計である。

縄文的な感覚が、
いつのまにかゲームの内部論理として
静かに生き延びている。


5. グロテスクとカワイイの同居

大阪EXPO ミャクミャク

土偶が放つ印象は、
決して一義的ではない。

畏怖を感じさせる異形でありながら、
どこか愛嬌もある。

この
「グロテスクとカワイイの同居」
という感覚は、
現代の日本的キャラクターデザインにも
色濃く引き継がれている。

均整の取れた美しさではなく、
混沌を内包した魅力。

不安と親密さを、
同時に引き受ける造形。


6. 現代の産土神としての「ゆるキャラ」

かつて、土地には産土神がいた。
その場所に根ざし、
人々の生活を見守る存在だ。

現代において、
その役割を別の形で引き受けているのが、
地域のキャラクターたちである。

彼らは単なるマスコットではない。

土地の物語や気配に「顔」を与え、
触れられ、写真を撮られ、
グッズとして持ち帰られる。

それは、
神輿に触れて力を分けてもらう行為の、
きわめて現代的な変奏だ。


結び|はぐれメタルを見つけてしまう理由

土偶とキャラクターを並べて考えているうちに、
ふと、以前書いた文章のことを思い出した。

仕事がなぜ「作業ゲー」になってしまうのか。
ドラクエとドラクエウォークを手がかりに、
職場の中に現れる“はぐれメタル”について書いたあの文章だ。

あのとき私は、
KPIでも制度でも説明しきれない
「なぜか気になってしまう瞬間」
「つい拾いに行ってしまう違和感」を、
はぐれメタルになぞらえた。

今振り返ると、
あれもまた、私自身の中にある
アニミズムのOSが働いた結果だったのかもしれないと思う。

本来は、ただの業務上の事象。
見逃しても問題はないはずの小さな兆し。
それを「何かが宿っている気がするもの」として
勝手に意味づけし、
追いかけてしまう。

モノや状況を、
単なるリソースやタスクとして扱いきれず、
そこに“魂のようなもの”を見てしまう癖。

土偶に力を託し、
キャラクターに感情を預け、
そして職場の中で
はぐれメタルを見つけてしまう。

それらはすべて、
同じOSの上で起きている出来事なのだと思う。

もし、仕事の中で
「なぜか気になってしまう違和感」や
「放っておけない小さな兆し」を
見つけてしまうことがあるなら。

それは能力でも合理性でもなく、
あなたの中で
アニミズムのOSが
静かに起動しているだけなのかもしれない。

その話は、
こちらの記事で、もう少し具体的に書いている。

なぜ仕事は「作業ゲー」になるのか ―ドラクエとドラクエウォーク、そして“はぐれメタル”が教えてくれたこと