思考の断片

黒い霧を抜く時間

colneo
calendar_today schedule 1 min read

想像したり、先読みしたり、考え込んだり。

そして、やりすぎたり。

不確実性を

当事者意識の中で引き受けてしまうと、

疲れが取れない慢性疲労に陥ることがある。

皆さんにも、そんな経験はないだろうか。

私もいま、

少しその渦中にいる気がする。

仕事のこと。

社会のこと。

未来のこと。

頭の中で、いくつもの仮説が同時に回り続ける。

それは知的な営みでもある。

しかし度が過ぎると、

思考が霧のように濃くなっていく。

黒い霧だ。

何が一番の処方箋なのだろうか。

人によって様々だろう。

重みも異なれば、体質も違う。

身体性も、メンタル耐性も違うからだ。

私の場合、

おそらく人よりも

空想癖と思案癖が強い

放っておくと、

思考はどこまでも潜っていく。

完全に止めることはできない。

だが、少しだけ抜くことはできる。

今、私がやっているこのメモ。

通勤電車の、束の間の時間だ。

スマートフォンに

断片的に言葉を書き出していく。

すると、

頭の中の黒い霧が

少しずつ洗い出されていく感覚がある。

水が澄んでいくように。

考えない時間ではない。

むしろ 整える時間だ。

ふと思い出すのは、

以前まとめた「白湯」の話だ。

白湯は、

何か特別なものを足す飲み物ではない。

ただ水を温めるだけ。

しかしそれを飲むと、

体の奥が少し整う。

何かを劇的に変えるわけではない。

だが、

少しだけ 澱みを流してくれる

思考も

それに近いのかもしれない。

何かを無理に解決しなくてもいい。

少し整えるだけで、

黒い霧は

ゆっくりと外に流れていく。

マイペースな空白の時間。

この小さな隙間こそ

有意義なひとときにしたい。

そう考えると、

世の中には案外、

こういう 整える行為

いくつもある気がしてくる。

白湯もそうだし、

釣りもそうかもしれない。

あるいは

静かにレコードをかける時間も。

もしかすると、

こうした小さな営みには

共通する何かがあるのかもしれない。

それはまた、

いつか整理してみたいテーマだ。

そしてもう一つ。

TikTokに流れてくる

イラン情勢の過激な映像。

あれは、

覚悟を持っている時以外

見るのをやめようと思う。

世界の出来事を知ることと、

精神を消耗させることは

同じではない。

少なくとも今は、

自分の霧を抜くことの方が大事だ。

思考にも、

白湯のような時間が

必要なのだと思う。