「帰属」を売るということ

―ファンクラブ経済は、なぜ静かに社会へ転用できるのか

エンタメ企業のファンクラブという形態は、
突き詰めれば「帰属」を価値(VP)としてマネタイズしているモデルだと思っている。

コンテンツでも、特典でも、距離の近さでもない。
「自分はここに属している」という感覚そのものが、価値として設計されている。

このモデルは、IPとしてのタレントのライフタイムに強く連動する。
だが興味深いのは、その“あいだ”の設計だ。

「一度しまった帰属」は、どう扱うべきか

ファンクラブ運営は、ある段階で必ず二択を迫られる。

ひとつは、
帰属意識をさらに心地よいものへと育てていく道。
いわば「推し」としてのレベルアップ階段を丁寧に設計する方法だ。

もうひとつは、
帰属を過剰に刺激せず、そっと維持し続ける道。
更新月という節目を、静かにくぐらせていく方法論。

後者は、派手さはない。
だが現実的で、継続率が高い。
キャリア契約や保険、会員制サービスにもよく似た体裁を持つ。

どちらが正しい、という話ではない。
この二択が実在していること自体が、重要なのだと思う。

推し活は「熱狂」だけで成立していない

私たちはしばしば、推し活を「熱狂」や「ハレ」の文脈で語る。

ライブ、イベント、記念日、限定体験。
確かにそれらは、華やかで分かりやすい。

だが実際のファンクラブ経済を支えているのは、
むしろその裏側にある「ケ」の時間ではないだろうか。

特別なことは起きないが、
解約する理由もない。
ただ、関係だけが静かに続いている状態。

この「何も起きていない時間」を、
エンタメ業界は驚くほど上手に設計している。

ダンバー数と「祭」としての帰属

ここで私は、「帰属」がもたらす経済性を、
ダンバー数にもとづく「祭」を享受する共同体として捉え直したい。

祭は、毎日あるわけではない。
だが、あると分かっているから、日常が持続する。

参加しなくても責められない。
深く関わらなくても、排除されない。
それでも「場」には名前が残っている。

この構造は、実はとても地味で、
だからこそ強い。

限界集落やヘルスケアに転用できないか

ここで視線を、エンタメ以外の世界へ移してみる。

限界集落の活性化問題。
高齢化社会におけるヘルスケアの相互扶助。
どれも「継続」と「帰属」が課題になる領域だ。

だが、ここに派手な「参加」を強いると、たいてい失敗する。

本当に必要なのは、

  • 何かをしなくても属していられること
  • 関与の濃淡を自分で選べること
  • 離れそうになっても、静かに受け止められること

つまり、「寝た子を起こさない帰属」の設計ではないかと思う。

エンタメが実装してきた「しずかな推し」

エンタメ業界は、
表向きは「推せ」「盛り上がれ」と言いながら、
裏側では「しずかな推し」を丁寧に許容してきた。

何も発信しなくてもいい。
イベントに行かなくてもいい。
それでも、更新だけは続く。

この矛盾を抱えた構造こそが、
ファンクラブというモデルの本体なのではないか。

構造をパッケージとして捉えるというリアリズム

私がいま関心を持っているのは、
この構造そのものを、事業としてパッケージ化できないか、という点だ。

コンテンツを変えるのではない。
熱量を煽るのでもない。

  • 帰属の入口をどう設計するか
  • 関与の階段をどれだけ緩やかにするか
  • 「続いてしまう状態」をどうつくるか

この設計思想自体を、
エンタメの外へ持ち出すこと。

そこに、華やかさはないかもしれない。
だが、「続く」という価値だけは、確実に残る。

これから、具体例を挙げていきたい

ここまで述べてきたのは、あくまで構造の話だ。

次は、
実際に「しずかな帰属」が機能している場面を、
具体例として挙げていきたいと思っている。

それはきっと、
成功事例として語られることの少ない、
だが失われると困る場所の話になる。

エンタメの話をしているようで、
実は社会の足元を見ている。
そんな文章を、これから書いていきたい。