妖怪人間ベムに学ぶ、成熟した権限委譲のかたち

── 委ねるとは、引き受ける覚悟を持つこと

以前、スーパーマリオを例に
「説明はいらない体験の設計」について書いたことがあります。

操作方法を教えなくても、
触ればわかる。
失敗すれば学べる。

あの話は、UIやUXの話であると同時に、
判断をユーザーに委ねる設計の話でもありました。

今日はそこから少し歩みを進め、
委ねた結果を、誰がどう引き受けるのか
という話をしてみたいと思います。

題材は、妖怪人間ベムです。


子供向けアニメの文脈から外れた異物

『妖怪人間ベム』は、
1968年に放送が始まったアニメです。

しかしその内容は、
当時の「子供向けアニメ」の常識から大きく逸脱していました。

  • 暗く
  • 無国籍で
  • 正義を行っても報われない
  • 「早く人間になりたい」という、叶う保証のない願い

強烈な余韻だけが残る、
どこか未完成で、しかし忘れられない作品です。

この独特の雰囲気は、
制作構造そのものから生まれたものでした。


日韓合同制作という、当時としては異例の分業

『ベム』は、
日本と韓国による合同制作で作られています。

  • 日本側:
    企画、脚本、絵コンテ、キャラクター設計
  • 韓国側:
    作画、背景、美術、彩色、撮影

今でこそ一般的な分業ですが、
1960年代後半としては、極めて先進的でした。

しかも当時は、

  • インターネットもなく
  • 即時のフィードバックもできず
  • リテイク(描き直し)は事実上不可能

途中で口を出すことが、構造的にできない環境だったのです。


そこにいた「親分」──森川信英

この制作体制を決断し、支えたのが
森川信英です。

彼は、海外制作を
「安く外注する手段」ではなく、
技術移転と育成を伴う共同制作として捉えていました。

重要なのは、彼が次の線を明確に引いていたことです。

  • WHAT(何を作るか)
    ─ 作品の思想、世界観、物語の軸
  • HOW(どう作るか)
    ─ 描き方、色彩、空気感の解釈

WHATは日本側で握る。
HOWは現場に委ねる。

しかも、
委ねたあとに口を出さない構造を、
意図的につくった。

これは放任ではありません。
覚悟を伴った委譲です。


危険な委譲と、成熟した委譲

ここで、少し整理してみます。

危険な委譲と成熟した委譲の対比

観点危険な委譲成熟した委譲
WHAT曖昧明確に定義されている
HOW丸投げ+後出し介入解釈ごと委ねる
途中介入気分次第で口出ししない/できない
想定外エラーとして修正価値として評価
責任現場に転嫁最後は自分が引き受ける

危険なのは、
委ねることそのものではありません。

委ねた結果を引き受ける覚悟がないこと
それが、委譲を危険にします。

森川信英は、
返ってきたアウトプットを
「想定外だ」と切り捨てませんでした。

それを作品の獲得物として受け取り、
最終的な責任を自分が引き受けた。


自分のビジネスに引き寄せて考える

いま私は、
自社の海外拠点や、
チームメンバーと協働しながら
サービスをつくり、顧客に届ける立場にいます。

そのとき、常に問われているのは、

  • どこまでを設計し
  • どこからを委ね
  • 返ってきたアウトプットを、どう引き受けるのか

という姿勢です。

委ねた以上、
「思っていたのと違う」は理由にならない。

顧客に渡すと決めたのは、
自分だからです。


ベムの余韻が教えてくれること

『妖怪人間ベム』は、
整った作品ではありません。

でも、
あの不穏さ、悲哀、無国籍な空気は、
半世紀以上経った今も心に残ります。

もしすべてを管理し、
すべてを均質化していたら、
あの世界は生まれなかったでしょう。

委ねたからこそ生まれた、熟成。

そしてその熟成を、
最後まで引き受けた人がいた。

委譲とは、
権限を渡すことではなく、
結果を背負う覚悟を持つこと

ベムの世界を思い出すたびに、
私はそのことを、静かに思い返しています。